アラン・ギルバ−ト(指揮)
Alan GILBERT、Conductor
アラン・ギルバ−トはこのところ、同世代の指揮者の中で最も活動的で最も出演要請の多い指揮者の1人として頭角をあらわしている。最近も、2000年1月始めより王立ストックホルム・フィルの首席指揮者兼芸術顧問に就任することが発表された。この格式ある地位に指名されたのは、ギルバートがこのオーケストラのマーラー・チクルスの一部を指揮してデビューし、大成功をおさめてから丁度1年後のことであった。
北米のオーケストラではアトランタ、セント・ルイス、ヴァンクーヴァー、コロラド、それにセント・ポール室内管弦楽団と共演しているが、中でもボルティモア響、シンシナティ響、ロサンゼルス・フィル、ロチェスター・フィルとは共演を重ね、アスペン音楽祭にも度々出演している。同様にヨーロッパでも、ストックホルム・フィル、スイス・ロマンド管弦楽団、トーンハレ管弦楽団、バンベルク響、デンマーク及びフィンランド放送響と共演するなど活躍を続けており、今シーズンにはバーミンガム市響、エーテボリ響、パリ管弦楽団とそれぞれヨーロッパ・デビューを行う。更に毎年NHK交響楽団を指揮するほか、東京交響楽団、札幌交響楽団とも共演している。また北京では中国放送交響楽団を指揮して全国放送を行った。
アラン・ギルバートはニューヨークに生まれ、幼いときからヴァイオリンの勉強を始めたが、ニューヨーク・フィルのヴァイオリニストだった両親が最初の教師だった。その後勉強を続けて、高校時代にジュリアード音楽院予科クラスに参加した。優秀なヴァイオリニスト・指揮者であるギルバートは室内楽やソリストとして広く活躍し、フィラデルフィア管弦楽団では2年間補欠ヴァイオリニストとして演奏した。1993年夏にはサンタ・フェ歌劇場管弦楽団のアシスタント・コンサートマスターをつとめた。
ハーヴァード大学の学生時代、レオン・キルヒナー、ピーター・リーバーソン、アール・キムの各氏について作曲を学んだ。ハーヴァード時代はまた、ハーヴァード・ラドクリフ管弦楽団の副指揮者、ハーヴァード・バッハ協会管弦楽団の音楽監督をつとめる一方、ニュー・イングランド音楽院の潮田益子のもとでヴァイオリンの研鑽を積んだ。ギルバートは優等でハーヴァード大学BA学位を獲得、更にサドラー賞及びホルブリット音楽演奏賞を大学から授与された。
大学時代の研究に引き続き、ギルバートはフィラデルフィアのカーティス音楽院でさらに指揮法をオットー・ヴェルナー・ミュラーについて勉強し、指揮アーティスト・ディプロマを獲得、またタングルウッドでは2度にわたり指揮者奨学金を与えられた。1994年5月、ジュリアード音楽院より音楽修士の学位を授与された。ジュリアードではミュラー教授のもとで更に研鑽を積み、ジュリアード予科クラス・オーケストラの指揮者をつとめた。
1994年、ギルバートの音楽家としての才能・技量が広く認められるところとなり、2年に一度若い有望な指揮者に与えられる全米交響楽団連盟ヘレン・M・トムソン賞をはじめ、指揮者として名誉あるこの他の賞を数回受賞した。1994年9月、スイス・ジュネーヴの国際音楽コンクールで優勝、同時にスイス賞も受賞した。また文化村オーチャード・ホール賞、ゲオルク・ショルティ賞も受賞し、マエストロ・ショルティから1週間指導を受ける機会が与えられた。
ギルバートは1994年クリーヴランド管弦楽団の指揮スタッフに指名され1995年から97年まで副指揮者の地位にあった。この期間ギルバートは定期公演とファミリー・コンサートを定期的に指揮し、また夏にはオーケストラと共にブロッサム・フェスティヴァルに出演した。1996/97年のシーズンの終わりと共に5年間のニュー・ジャージー州ハッドンフィールド響音楽監督の契約を終了した。
1997年10月、ギルバートはシーヴァー・ナショナル財団指揮者賞を贈られた。この賞は3年ごとに、特に優れた才能を持つアメリカ人指揮者に与えられるもので、全米のメジャー・オーケストラのマネージャーや指揮者で構成する権威ある委員会が選考に当たっている。
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